2010年 05月 09日
シャウナのわかりやすい日本史解説 ~鎌倉幕府の繁栄~ |
いらっしゃいませ。
ずいぶんと時間が空いてしまいましたが、久々の日本史解説です。
この企画も中学生組から「わかりやすい」と言ってもらえて嬉しいです。
ではでは、さっそくLet's Study!!
さて、まずはあらすじ。
この前は確か、義経を追い詰めるために守護地頭を置いたところまで解説しましたね。
そして、その結果、義経は今の岩手の平泉まで追い詰められ、最後には奥州藤原氏に売られ、結果、自殺してしまうんです。武士ですしね・・・。
では、今日のお話。
義経が死んでしまったため、困るのは朝廷でした。
何しろ、幕府に政治の実権を握られてしまったんですから、当然、朝廷としては気に入らないわけです。
上皇としては自分と院が中心の中央集権国家を作りたいわけですから。
で・・・そんな時です。
朝廷にとってこれ以上ないぐらいチャンスが訪れるんです。
なんと・・・鎌倉幕府を作った頼朝が・・・子供を作らないまま亡くなってしまったんです。
当時の朝廷の最高権力者である”後鳥羽上皇”からすればもう「やったぜ!!!!」って踊りだすぐらいの事です。
そして、もう本気で喜んで、すぐに軍隊を率いて「鎌倉幕府をコテンパンのケチョンケチョンにしてやろうぜ!!」って、鎌倉に攻め入るんですね。
これが1221年の”承久の乱”です。ただ・・・ただ・・・
・・・・・・この考え方・・・
大間違いなんです。
頭が居なくなって困ってる!!
なんてのはまさに貴族の考え。
みなさん・・・思い出してみてください。
鎌倉幕府は農協です。
農協の会長が死んだところで・・・
別になんにも困りませんよね・・・すぐに”北条氏”という新しい会長が就任すると・・・
すぐに反撃します。もう何にも問題なく・・・
当時武士は御恩と奉公の関係がありますから、頑張って敵を倒せばそれだけご褒美をもらえちゃうんですね。
そりゃもう、がんばりますよ。
結果、後鳥羽上皇の企みは失敗。
幕府は図らずして、朝廷の持っていた土地をたくさん手に入れることに成功したのです。
まあ、つまり後鳥羽上皇・・・幕府を壊すつもりが逆に強くしちゃったんですね。
では、本日はここまで。
次回は元寇?蒙古襲来?について解説します。
ありがとうございました。
by shauna-crown
| 2010-05-09 17:14
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