2010年 06月 10日
墨子 |
いらっしゃいませ。
本日はちょっとした説教と言いますか、古代中国漢文に出てきます思想家達のお話をしたいと思います。
さてさて・・・
古代中国においては2つの思想家いました。
ひとつは孔子に代表される儒家。
もうひとつは墨子に代表される法家でございます。
この2つがどう違うかと言うと、
儒家が”徳”すなわち、人の良心で国を治めようと思想するのに対し、
法家は”法”すなわち、法律によって国を治めるべきだと思想するわけです。
まあ、結局のところ、
儒家の場合、
徳で国を治めるには→有能な君主が必要→大多数は凡庸な上、君主は世襲制→有徳な君主の出現は偶然。
法家の場合
法で国を治めるには→法術を理解する聡明な君主が必要→大多数は凡庸な上、君主は世襲制→有能な君主の出現はどちらにしろ偶然。
と行き着く先は同じなんですがね。
ただ、その中に置いても墨子はちょっとおもしろい思想をしているので、今日はソレを述べてみたいと思います。
さて、では墨子の思想とはいったいどんなものなんでしょう。
それはですね・・・。
”憎しみ”と”愛”は両立するというものなのです。
つまり、簡単に言うと、
本来、人間は自分の家族や身の回りを愛するべきであり、それ以外には目をむけるべきではない
ということなんですね。
すなわち、
自分の身を修め、家を整えることで、国が治まり、平和がもたらされる
と言う考え方なのです。
この思想。みなさんはどう思います?
一見すると、間違っているようですが、実は正しいんです。
アジアには中国という国があります。
あの国がなぜ膨大な人口を抱えていながら、国民全員が愛国心をもっていられるか?
それはとっても簡単なことなんです。
中国では愛国教育というものをしていて、各地に愛国記念館というものがあるんですね。
では、愛国記念館とはどんなものかというと・・・
それはすなわち”反日記念館”なんです。つまり、”日本を憎む”という共通の認識を持つことで、中国は成り立っているんです。
すると、墨子の言う、自分たちの家を大切にして、それ以外のことはどうでもいいんだ(憎もうがなんだろうが)!!
という思想に見事に繋がるわけですね。
中国でのいわゆる”パクリ”ってのが多いのもこういう思想からきてるんでしょうね。
他国の利益など考えずに、自らの利益を率先するという思想にも見事に合致するわけです。
しかしながら、一方で、この考え方とは正反対の考え方で国を収めている場所もあります。
それはどこかというと・・・
ヨーロッパなんです。
つまりは、キリスト教ですね。
キリスト教は
「自らの両親を捨てて、我が元に集え。 我(キリスト)こそが真の父であり、すべてを受け入れる」
という思想なわけです。
すると、見事に墨子の家族を大切にしなさいという思想とはかけはなれるわけです。
むしろ正反対ですね。
でも、ヨーロッパは見事に政治を治めています。
つまりは正反対だけれども、この思想も正しいんです。
まあ、害が少ない分、キリスト教の方が安全な気はしますがね・・・
しかしながら・・・
墨子の思想で最もおもしろいのは
「権力を持つものは、己の私利私欲に狩られ、まともな政治などできるはずがない」
と言い切ってることです。
つまり、政治家は絶対に自分たちのことしか考えないと紀元前450年に言い切っているんです。
全くもってその通りですね・・・
いい例:今の日本
というわけで、本日はそんな墨子の思想のお話でした。
ではでは、本日はこのへんで。
ありがとうございました。
本日はちょっとした説教と言いますか、古代中国漢文に出てきます思想家達のお話をしたいと思います。
さてさて・・・
古代中国においては2つの思想家いました。
ひとつは孔子に代表される儒家。
もうひとつは墨子に代表される法家でございます。
この2つがどう違うかと言うと、
儒家が”徳”すなわち、人の良心で国を治めようと思想するのに対し、
法家は”法”すなわち、法律によって国を治めるべきだと思想するわけです。
まあ、結局のところ、
儒家の場合、
徳で国を治めるには→有能な君主が必要→大多数は凡庸な上、君主は世襲制→有徳な君主の出現は偶然。
法家の場合
法で国を治めるには→法術を理解する聡明な君主が必要→大多数は凡庸な上、君主は世襲制→有能な君主の出現はどちらにしろ偶然。
と行き着く先は同じなんですがね。
ただ、その中に置いても墨子はちょっとおもしろい思想をしているので、今日はソレを述べてみたいと思います。
さて、では墨子の思想とはいったいどんなものなんでしょう。
それはですね・・・。
”憎しみ”と”愛”は両立するというものなのです。
つまり、簡単に言うと、
本来、人間は自分の家族や身の回りを愛するべきであり、それ以外には目をむけるべきではない
ということなんですね。
すなわち、
自分の身を修め、家を整えることで、国が治まり、平和がもたらされる
と言う考え方なのです。
この思想。みなさんはどう思います?
一見すると、間違っているようですが、実は正しいんです。
アジアには中国という国があります。
あの国がなぜ膨大な人口を抱えていながら、国民全員が愛国心をもっていられるか?
それはとっても簡単なことなんです。
中国では愛国教育というものをしていて、各地に愛国記念館というものがあるんですね。
では、愛国記念館とはどんなものかというと・・・
それはすなわち”反日記念館”なんです。つまり、”日本を憎む”という共通の認識を持つことで、中国は成り立っているんです。
すると、墨子の言う、自分たちの家を大切にして、それ以外のことはどうでもいいんだ(憎もうがなんだろうが)!!
という思想に見事に繋がるわけですね。
中国でのいわゆる”パクリ”ってのが多いのもこういう思想からきてるんでしょうね。
他国の利益など考えずに、自らの利益を率先するという思想にも見事に合致するわけです。
しかしながら、一方で、この考え方とは正反対の考え方で国を収めている場所もあります。
それはどこかというと・・・
ヨーロッパなんです。
つまりは、キリスト教ですね。
キリスト教は
「自らの両親を捨てて、我が元に集え。 我(キリスト)こそが真の父であり、すべてを受け入れる」
という思想なわけです。
すると、見事に墨子の家族を大切にしなさいという思想とはかけはなれるわけです。
むしろ正反対ですね。
でも、ヨーロッパは見事に政治を治めています。
つまりは正反対だけれども、この思想も正しいんです。
まあ、害が少ない分、キリスト教の方が安全な気はしますがね・・・
しかしながら・・・
墨子の思想で最もおもしろいのは
「権力を持つものは、己の私利私欲に狩られ、まともな政治などできるはずがない」
と言い切ってることです。
つまり、政治家は絶対に自分たちのことしか考えないと紀元前450年に言い切っているんです。
全くもってその通りですね・・・
いい例:今の日本
というわけで、本日はそんな墨子の思想のお話でした。
ではでは、本日はこのへんで。
ありがとうございました。
by shauna-crown
| 2010-06-10 15:42
| 雑記
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