2011年 01月 31日
シャウナのわかりやすい日本史解説 ~幕末編 その2~ |
いらっしゃいまほ
尋常じゃなく寒いです・・・
凍りそうです。
寂しくて身も心も凍りそうです。
とりあえずテスト頑張らねば・・・
ってなわけで・・・
シャウナのわかりやすい日本史解説・・・さっさと終わらせないと・・・
いつもどおり、出来事重要項目は赤
人物名は青
なぜかあるセリフは緑です
今日は島津さんが頑張ります。
では、スタート
あらすじ・・・日米修好通商条約とか安政の大獄によって幕府の権威は地に落ち、朝廷の権威はどんどん上がって行きました。
さて、本日。
当時、もう日本の雄藩は全部が全部朝廷の味方で、朝廷に使者というか、もう特命係長みたいなのを派遣して、天皇に対して様々な進言をする時代です。
どこの藩が天皇に評価されて、自らの時代をつかむか・・・すなわち、水面下での戦国時代ですよ!奥さん!
で・・・そんな状況をどうにかしようと・・・
幕府も考えるわけです・・・巷で広がる尊王攘夷思想を暴力ではなくなんとか温厚に鎮静して公武合体という思想を定着できないかと・・・
そこで幕府!! 考えました!!
そうだ!!公武合体に朝廷も賛成してるってことを分かってもらうために、天皇の妹を将軍のお嫁さんにしよう!!
というわけで1861年・・・天皇の妹である”和宮”を降嫁(家臣のところにお嫁に行くこと、天皇よりも将軍の方が当然階級は下です)させます。
このとき、和宮には既に許嫁までいたんですよ!! それを解消してまで、幕府は和宮を貰おうとしたんです。
では、なぜ天皇はそれを許したのか・・・
そこにはとてつもない裏工作があったんです。
まず、始まりは、勢い付いた朝廷の特命係長達が天皇に進言したんです。
「勢いがいい今のうちに、幕府に対して”尊王攘夷”をちゃんと考えさせたほうがいいんじゃないですか!?」
と・・・天皇も当然派閥は尊王攘夷派ですので、「そうだな・・・よし!」と考え、幕府に対して「それで?攘夷はいつ行うんだ?」って手紙を書くんです。
すると、幕府はこう言うんです。
「あの・・・陛下・・・申し訳ないんですが・・・現在、公武合体を考えておりまして・・・それで、和宮様を将軍の奥方にすることで、攘夷できるようにしたいのですが・・・」と言い訳すると・・・天皇は側近の岩倉具視と相談するんです。
そして・・・
「じゃあ・・・もし、和宮を嫁にやったら、お前らは日米修好通商条約をすぐに撤廃させて攘夷するんだな?」って聞かれて・・・
もちろん、そんなことするつもりは全然ないのですよ?でも、和宮をもらわないと今の尊王攘夷ばかりで幕府の地位は地に落ちたままです。
だから、仕方なく嘘をついて・・・
「・・・わかりました・・・和宮様を貰ったら、国内情勢を安定させて、即刻尊王攘夷致します!!」
と・・・
そして天皇は「お前らわかってるけどな!和宮は嫌がってる上に、既に婚約者も居るってのに、それを解消させてなおかつ嫌がる和宮を”降嫁しなきゃ僧侶にするぞ!”って脅してまで嫁にやるんだからな!!」
ともう攘夷しまくって脅した上で和宮をお嫁にやるんです。
まあ、当然大奥ってのは、武士の女達の世界・・・みんなみんな奥様はお姫様の世界です。
しかも当時大奥を取り仕切っていたのはなんとあの超名門薩摩のお姫様 天璋院篤姫 様です。
宮廷の女と武士の女・・・
仲がとんでもなく悪いんだこれが・・・
そんな生活はすぐに天皇の元に伝わります・・・しかし、天皇は我慢するんです。これも尊王攘夷の為だと・・・
しかし、各雄藩の特命係長達! 水面下で「このままでは幕府に良いように利用されるだけだ・・・どうする?」って相談するんです。
特に、超低勢力No1だった長州派は「もう幕府潰すしかないんじゃね!?」とか言ってるわけで・・・
そして!!ここで一人・・・立ち上がった人が居ました・・・篤姫の出身国・・・薩摩です。
中々決定を下さない朝廷に対して、怒った薩摩・・・とある人を朝廷に送り込みます。
その人の名前は島津久光・・・1862年・・・和宮がお嫁に行った次の年に彼が朝廷に殴りこみにいくんです。
では、この島津久光ってどんな人?って言いますと・・・
薩摩藩主の代わりに政治を行って、薩摩藩主より尊敬されていて、ミスター薩摩とでも言えるぐらいの人・・・つまり薩摩の殿様より偉い人です。
そんな人が朝廷に来たら、今までは「お?お前新人?」「はい・・・薩摩から来ました・・・」「まあ、よろしくね・・・」
という今までの特命係長同士のやりとりとはいきません・・・
まず土下座し「よくぞお越しくださいました!!島津様!!」からのスタートです。
島津さんはすぐに天皇にあって「陛下!!このままじゃダメです!!幕府に直訴すべきです!!!」って訴えるんです。しかし、天皇はいかに大きな権力とはいえ単体では幕府よりはまだずっと弱い・・・
だから「いやぁ・・・それはわかってるんだけど・・・」って濁すんです・・・だって、今朝廷に居る武士は特命係長・・・以下に優秀とはいえ下級の武士なんです。
ですが・・・「じゃあ、私が行きましょうか?」という人物が・・・
誰でしょうか? そう!!島津久光さんです!!
薩摩の殿様より偉い人が「俺行きましょうか?」って言うんです・・・「マジで!?行ってくれるの!?」って天皇大喜び。
島津さん・・・今までの薩摩藩主って旗だけじゃなく、今度はこの日本で葵の徳川の家紋より10倍100倍と権威のある家紋・・・天皇の菊の家紋まで持って、東海道を堂々と大群で進行し、江戸城に入っていっちゃうんです。
権力も武力も圧倒的に敵が上という幕府として今まで一度も味わったことのない超ピンチな状況。
そんな状況で島津さんは将軍に対して「天皇陛下のご命令の元きました!!」って言うんだから・・・もう言い分を聞くというか、従うしかないんです。
そして島津さん・・・こんな提案をします。
かねてから望んで望んでたまらなかったあの人を権力者にする方法です
島津「将軍様・・・あなたひとりでこの大変な時代を収めるの大変でしょう?だから・・・新しい役職作りませんか~?」
将軍「え・・・新しい役職?」
島津「将軍後見職って言うんですけど~~~」
将軍「しょ・・・将軍後見職だと!?」
島津「いいですよね? <バキボキッ 菊の紋チラッチラッ」
将軍「は・・・はい・・・ごめんなさい・・・そのとおりです。設置しましょう・・・あ!!でもほら!!適切な人居ないじゃないか!!だからやっぱり設置は・・・」
島津「いやですねぇ~将軍様・・・居るじゃないですか?適切な人が・・・」
将軍「て・・・適切?」
島津「ほら・・・将軍様とどっちが将軍になるかって争ったあの人・・・なんていいましたっけ?」
将軍「ひ!!一橋慶喜か!!?」
島津「あーそうそう・・・彼なんてどうですか? <バキボキッ 菊の紋チラッチラッ」
将軍「い・・・いい考えだ・・・」
そう・・・かねてより応援してた一橋慶喜さん・・・こうして一気に権力者に!!
そして、こうして権力者になった慶喜さん・・・
すぐに自分の政策を実行させます・・・もちろん彼は超優秀。今までの政治家とは根本的に違うわけです。
まず、慶喜さん・・・いままでの刀と武士道で戦うスタイルでは全然ダメってことに気が付きます。
そこで、こう言います。
「幕府陸軍を作ろう・・・」こうして、幕府陸軍こと、幕府歩兵隊が創設されます。しかも指南を頼んだのはフランス軍。超一流の西洋式舞台をつくろうとしたんです。
次に慶喜さん・・・「倒幕の危険がある・・・よし・・・それを防ぐために、幕府を倒そうとする特命係長共がたくさんいる京都の警備をしないと駄目だ!!」と・・・京都守護職ってのを新設する命令がおこります。
当然、雄藩を全員敵に回して行うこの京都守護職・・・誰もやりたくないんです・・・「え~やだよ~・・・お前やれよ~」「やだよ!!雄藩こえーもん!!」「おれだってやだよ!こええもん!!」そんな中・・・馬鹿なのか責任感が強いのか・・・一つ・・・「会津藩」ってのが「・・・じゃあ俺やるよ・・・」なのかダチョウ倶楽部のノリなのかわかりませんが、担当することに・・・
というわけで京都守護職・・・いわゆる 新撰組 が作られたんですね・・・新撰組ってこうして作られたんですよ~・・・
もちろん、島津さん、当然約束するんですよ? 「幕府の指針は尊王攘夷でいいんですよねー」って・・・
幕府もあまりの権威と武力に「もちろんだ!」というしかないのです。
こうして、自分のやりたい事ぜんぶやって、完全勝利・・・気分上々で京都へと帰っていく島津さん・・・
しかし・・・そんな帰り道・・・島津さんやらかします。
島津さんが帰り道で横浜に入ったとき・・・生麦村ってところで事件はおきました。
島津さんが普通に帰り道を大名行列で通っていた時・・・その大名行列を一人のイギリス人が馬にのって通り過ぎたんです。
当然出る答えは「無礼者おおおおおおおお!!!!!!!!!」スバッ!!!!!!!!です。
そう・・・イギリス人を殺しちゃったんです。
これが後に言う 生麦事件 なんです。
今までの庶民が外国人殺しちゃったなら外国に「あいつ処分しましたー」で住むんですが・・・斬ったのが大名ともなれば、とんでもない大事件。
なにしろ、いままで政府は全部味方だと思ってたのに、思いっきり敵対行為したんですから・・・治外法権ガン無視で。
しかし幕府は今「尊王攘夷します!」と言ったばかり!!文句は言えない・・・
そして後にこの問題で薩摩は拗れに拗れてぐっちゃぐっちゃになるんです。
はい・・・というわけで・・・
今日はこの辺で・・・続きはまた明日・・・
ありがとうございました。
尋常じゃなく寒いです・・・
凍りそうです。
寂しくて身も心も凍りそうです。
とりあえずテスト頑張らねば・・・
ってなわけで・・・
シャウナのわかりやすい日本史解説・・・さっさと終わらせないと・・・
いつもどおり、出来事重要項目は赤
人物名は青
なぜかあるセリフは緑です
今日は島津さんが頑張ります。
では、スタート
あらすじ・・・日米修好通商条約とか安政の大獄によって幕府の権威は地に落ち、朝廷の権威はどんどん上がって行きました。
さて、本日。
当時、もう日本の雄藩は全部が全部朝廷の味方で、朝廷に使者というか、もう特命係長みたいなのを派遣して、天皇に対して様々な進言をする時代です。
どこの藩が天皇に評価されて、自らの時代をつかむか・・・すなわち、水面下での戦国時代ですよ!奥さん!
で・・・そんな状況をどうにかしようと・・・
幕府も考えるわけです・・・巷で広がる尊王攘夷思想を暴力ではなくなんとか温厚に鎮静して公武合体という思想を定着できないかと・・・
そこで幕府!! 考えました!!
そうだ!!公武合体に朝廷も賛成してるってことを分かってもらうために、天皇の妹を将軍のお嫁さんにしよう!!
というわけで1861年・・・天皇の妹である”和宮”を降嫁(家臣のところにお嫁に行くこと、天皇よりも将軍の方が当然階級は下です)させます。
このとき、和宮には既に許嫁までいたんですよ!! それを解消してまで、幕府は和宮を貰おうとしたんです。
では、なぜ天皇はそれを許したのか・・・
そこにはとてつもない裏工作があったんです。
まず、始まりは、勢い付いた朝廷の特命係長達が天皇に進言したんです。
「勢いがいい今のうちに、幕府に対して”尊王攘夷”をちゃんと考えさせたほうがいいんじゃないですか!?」
と・・・天皇も当然派閥は尊王攘夷派ですので、「そうだな・・・よし!」と考え、幕府に対して「それで?攘夷はいつ行うんだ?」って手紙を書くんです。
すると、幕府はこう言うんです。
「あの・・・陛下・・・申し訳ないんですが・・・現在、公武合体を考えておりまして・・・それで、和宮様を将軍の奥方にすることで、攘夷できるようにしたいのですが・・・」と言い訳すると・・・天皇は側近の岩倉具視と相談するんです。
そして・・・
「じゃあ・・・もし、和宮を嫁にやったら、お前らは日米修好通商条約をすぐに撤廃させて攘夷するんだな?」って聞かれて・・・
もちろん、そんなことするつもりは全然ないのですよ?でも、和宮をもらわないと今の尊王攘夷ばかりで幕府の地位は地に落ちたままです。
だから、仕方なく嘘をついて・・・
「・・・わかりました・・・和宮様を貰ったら、国内情勢を安定させて、即刻尊王攘夷致します!!」
と・・・
そして天皇は「お前らわかってるけどな!和宮は嫌がってる上に、既に婚約者も居るってのに、それを解消させてなおかつ嫌がる和宮を”降嫁しなきゃ僧侶にするぞ!”って脅してまで嫁にやるんだからな!!」
ともう攘夷しまくって脅した上で和宮をお嫁にやるんです。
まあ、当然大奥ってのは、武士の女達の世界・・・みんなみんな奥様はお姫様の世界です。
しかも当時大奥を取り仕切っていたのはなんとあの超名門薩摩のお姫様 天璋院篤姫 様です。
宮廷の女と武士の女・・・
仲がとんでもなく悪いんだこれが・・・
そんな生活はすぐに天皇の元に伝わります・・・しかし、天皇は我慢するんです。これも尊王攘夷の為だと・・・
しかし、各雄藩の特命係長達! 水面下で「このままでは幕府に良いように利用されるだけだ・・・どうする?」って相談するんです。
特に、超低勢力No1だった長州派は「もう幕府潰すしかないんじゃね!?」とか言ってるわけで・・・
そして!!ここで一人・・・立ち上がった人が居ました・・・篤姫の出身国・・・薩摩です。
中々決定を下さない朝廷に対して、怒った薩摩・・・とある人を朝廷に送り込みます。
その人の名前は島津久光・・・1862年・・・和宮がお嫁に行った次の年に彼が朝廷に殴りこみにいくんです。
では、この島津久光ってどんな人?って言いますと・・・
薩摩藩主の代わりに政治を行って、薩摩藩主より尊敬されていて、ミスター薩摩とでも言えるぐらいの人・・・つまり薩摩の殿様より偉い人です。
そんな人が朝廷に来たら、今までは「お?お前新人?」「はい・・・薩摩から来ました・・・」「まあ、よろしくね・・・」
という今までの特命係長同士のやりとりとはいきません・・・
まず土下座し「よくぞお越しくださいました!!島津様!!」からのスタートです。
島津さんはすぐに天皇にあって「陛下!!このままじゃダメです!!幕府に直訴すべきです!!!」って訴えるんです。しかし、天皇はいかに大きな権力とはいえ単体では幕府よりはまだずっと弱い・・・
だから「いやぁ・・・それはわかってるんだけど・・・」って濁すんです・・・だって、今朝廷に居る武士は特命係長・・・以下に優秀とはいえ下級の武士なんです。
ですが・・・「じゃあ、私が行きましょうか?」という人物が・・・
誰でしょうか? そう!!島津久光さんです!!
薩摩の殿様より偉い人が「俺行きましょうか?」って言うんです・・・「マジで!?行ってくれるの!?」って天皇大喜び。
島津さん・・・今までの薩摩藩主って旗だけじゃなく、今度はこの日本で葵の徳川の家紋より10倍100倍と権威のある家紋・・・天皇の菊の家紋まで持って、東海道を堂々と大群で進行し、江戸城に入っていっちゃうんです。
権力も武力も圧倒的に敵が上という幕府として今まで一度も味わったことのない超ピンチな状況。
そんな状況で島津さんは将軍に対して「天皇陛下のご命令の元きました!!」って言うんだから・・・もう言い分を聞くというか、従うしかないんです。
そして島津さん・・・こんな提案をします。
かねてから望んで望んでたまらなかったあの人を権力者にする方法です
島津「将軍様・・・あなたひとりでこの大変な時代を収めるの大変でしょう?だから・・・新しい役職作りませんか~?」
将軍「え・・・新しい役職?」
島津「将軍後見職って言うんですけど~~~」
将軍「しょ・・・将軍後見職だと!?」
島津「いいですよね? <バキボキッ 菊の紋チラッチラッ」
将軍「は・・・はい・・・ごめんなさい・・・そのとおりです。設置しましょう・・・あ!!でもほら!!適切な人居ないじゃないか!!だからやっぱり設置は・・・」
島津「いやですねぇ~将軍様・・・居るじゃないですか?適切な人が・・・」
将軍「て・・・適切?」
島津「ほら・・・将軍様とどっちが将軍になるかって争ったあの人・・・なんていいましたっけ?」
将軍「ひ!!一橋慶喜か!!?」
島津「あーそうそう・・・彼なんてどうですか? <バキボキッ 菊の紋チラッチラッ」
将軍「い・・・いい考えだ・・・」
そう・・・かねてより応援してた一橋慶喜さん・・・こうして一気に権力者に!!
そして、こうして権力者になった慶喜さん・・・
すぐに自分の政策を実行させます・・・もちろん彼は超優秀。今までの政治家とは根本的に違うわけです。
まず、慶喜さん・・・いままでの刀と武士道で戦うスタイルでは全然ダメってことに気が付きます。
そこで、こう言います。
「幕府陸軍を作ろう・・・」こうして、幕府陸軍こと、幕府歩兵隊が創設されます。しかも指南を頼んだのはフランス軍。超一流の西洋式舞台をつくろうとしたんです。
次に慶喜さん・・・「倒幕の危険がある・・・よし・・・それを防ぐために、幕府を倒そうとする特命係長共がたくさんいる京都の警備をしないと駄目だ!!」と・・・京都守護職ってのを新設する命令がおこります。
当然、雄藩を全員敵に回して行うこの京都守護職・・・誰もやりたくないんです・・・「え~やだよ~・・・お前やれよ~」「やだよ!!雄藩こえーもん!!」「おれだってやだよ!こええもん!!」そんな中・・・馬鹿なのか責任感が強いのか・・・一つ・・・「会津藩」ってのが「・・・じゃあ俺やるよ・・・」なのかダチョウ倶楽部のノリなのかわかりませんが、担当することに・・・
というわけで京都守護職・・・いわゆる 新撰組 が作られたんですね・・・新撰組ってこうして作られたんですよ~・・・
もちろん、島津さん、当然約束するんですよ? 「幕府の指針は尊王攘夷でいいんですよねー」って・・・
幕府もあまりの権威と武力に「もちろんだ!」というしかないのです。
こうして、自分のやりたい事ぜんぶやって、完全勝利・・・気分上々で京都へと帰っていく島津さん・・・
しかし・・・そんな帰り道・・・島津さんやらかします。
島津さんが帰り道で横浜に入ったとき・・・生麦村ってところで事件はおきました。
島津さんが普通に帰り道を大名行列で通っていた時・・・その大名行列を一人のイギリス人が馬にのって通り過ぎたんです。
当然出る答えは「無礼者おおおおおおおお!!!!!!!!!」スバッ!!!!!!!!です。
そう・・・イギリス人を殺しちゃったんです。
これが後に言う 生麦事件 なんです。
今までの庶民が外国人殺しちゃったなら外国に「あいつ処分しましたー」で住むんですが・・・斬ったのが大名ともなれば、とんでもない大事件。
なにしろ、いままで政府は全部味方だと思ってたのに、思いっきり敵対行為したんですから・・・治外法権ガン無視で。
しかし幕府は今「尊王攘夷します!」と言ったばかり!!文句は言えない・・・
そして後にこの問題で薩摩は拗れに拗れてぐっちゃぐっちゃになるんです。
はい・・・というわけで・・・
今日はこの辺で・・・続きはまた明日・・・
ありがとうございました。
by shauna-crown
| 2011-01-31 01:54
| 各種解説
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