2011年 02月 15日
シャウナのわかりやすい日本史解説 ~戊辰戦争~ |
いらっしゃいまほ。
痛みで眠れない日々が続いてるしゃうにゃんです。
なんか昼間すっごい眠たいです。春休みでよかった・・・
では、本日・・・シャウナのわかりやすい歴史解説・・・
討幕後の戊辰戦争です。
これを読んで、少しでも皆様が歴史に興味を持っていただければ幸い・・・
ちなみに、教科書を全部網羅してませんので、ちゃんと教科書も読んでくださいね。
でも、これを読めば少しは読むのが楽しくなると思いますよ!
では、始めます
”歴史は物語”
あらすじ 大政奉還しました
では、今日の話題。
まあ、そんなわけで、大政奉還成功したわけですが・・・
もちろんそれまで日本を支配していたのは武士なわけで・・・そんな彼らが「今日から武士じゃないです、政治には一切関わらないでください。あと財産も没収です。土地は全部天皇のものです」と言われて「はいわかりました」と納得するわけがありません。
大政奉還から僅か2年後・・・実質は1年とちょっとで、武士が怒って反乱を起こします。
これが1868年の1月に起きた戊辰戦争です。
ちなみにこの戊辰戦争・・・戦いは一度だけではありません。 大きく分けて3つの内戦があり、それを戊辰戦争って言うんです。
では、それを順を追って説明します。
① 官軍(薩摩&長州) VS 旧政権(旧幕府軍)
俗にいう鳥羽・伏見の戦いです。いきなり権力を全て取り上げられた旧幕府のみなさんが怒り狂って、僅か一年後にブチ切れ、政府から政権を奪還すべく旧将軍の徳川慶喜をトップに戦いをしかけます。
しかし・・・徳川慶喜はすっごい優秀な人物・・・自分の置かれた地位ってのも理解してるんです。
そして「もともと将軍で天皇陛下より地位の低い私のような人間が天皇に逆らうなどとんでもないことだ」と、一切戦わずに海軍全部率いて、江戸に帰り、水戸で謹慎することに・・・
しかし、一度戦いを仕掛けられた天皇は憤慨。「慶喜を殺せ!」とまで言いますが、それでも勝海舟が活躍してくれて、それまでずっと明け渡さなかった江戸城を無血開城させ、江戸には一滴の血も流れませんでした・・・勝海舟すげー・・・
② 官軍 VS 奥羽越列藩同盟
次に起きたのは、政府軍ではなく、現代風に言うと、地方政権が連合して戦いを挑みました・・・その中心にいたのは・・・会津藩・・・
皆様覚えているでしょうか?そう・・・会津藩・・・新撰組を出して、幕府の狗として、討幕を阻止しつずけていた・・・頼まれて仕方なく汚れ役やってたあの藩です。
しかしながら、幕末にそんなことしてれば、当然新政府であり官軍である薩摩や長州からすれば「散々幕末に嫌がらせしやがって・・・」と恨まれるわけで・・・
政府が出来てからもうずっとチマチマチマチマ虐めるんですね。
なので、強い不良相手に、弱虫連合というか・・・いじめられっ子連合の怒りが爆発するんです。いろんな藩が「俺達が会津におしつけたんだし・・・」とか「今の政府の態度は確かにひどいよな・・・」と同情して戦争に突入したんです。
そして、①を超えるぐらいの大戦争になります。しかし、相手は近代イギリスの兵器を持つ薩摩と長州・・・勝てるわけがありません・・・次々と倒され・・・そして9月に会津が落城し、結局クーデターは失敗に終わりました。
ただ、おかげで明治政府も「うん・・・確かにやり過ぎてたよな・・・」と反省して、あんまり苛めなくなります。
③ 官軍 VS 函館政権
戊辰戦争最後の戦いです。皆様御存知? 新撰組鬼の副長こと土方歳三とか ①の幕府の生き残りが全員函館に集まり「わかった・・・もう日本を返せとかいわないし、戦いもしない。戦争しようなんて思ってない・・・けど、俺たちはこれからもう北海道を蝦夷共和国として独立して運営してくから、もう文句言わないでくれ!」と言い、独立を宣言します・・・
しかし、そんなことしたら国家が2つに分けられてしまいます・・・なので、官軍は彼らを討伐します。そして1869年5月・・・
土方歳三が戦死したことで、結局函館政権は敗北し、戊辰戦争は集結したのです。
そして、この後・・・日本は揺れ動くことになります。
それを3つの点・・・
1、新政府の動向
2、士族の動向
3、朝鮮を巡る動向
から見ていきます。
では・・・何で揺れ動いていたかというと・・・今後の日本の方針です。
今まで日本は東アジア特有の”中華システム”とでも言うべき中で生活してました。つまりは中国との宗属関係です。世界の中心は太陽である中国で、後の国は日本も含めて地球とかの惑星。太陽は惑星に無償で施しをする。
つまり、中国はなんでも持っていて近隣諸国はそれを貰って生活するってのが基本でした。
しかしながら、それと同時に入ってきたのが”西欧近代システム”とでも言うべき国民国家(主権国家)という考え方です。つまりは帝国主義。日本は中国とも対等な一つの国であるって考え方です。
この2つでどちらを取るかということで・・・日本すっごい悩むことになるのです。
ってわけで続きは次回・・・
それではありがとうございました。
痛みで眠れない日々が続いてるしゃうにゃんです。
なんか昼間すっごい眠たいです。春休みでよかった・・・
では、本日・・・シャウナのわかりやすい歴史解説・・・
討幕後の戊辰戦争です。
これを読んで、少しでも皆様が歴史に興味を持っていただければ幸い・・・
ちなみに、教科書を全部網羅してませんので、ちゃんと教科書も読んでくださいね。
でも、これを読めば少しは読むのが楽しくなると思いますよ!
では、始めます
”歴史は物語”
あらすじ 大政奉還しました
では、今日の話題。
まあ、そんなわけで、大政奉還成功したわけですが・・・
もちろんそれまで日本を支配していたのは武士なわけで・・・そんな彼らが「今日から武士じゃないです、政治には一切関わらないでください。あと財産も没収です。土地は全部天皇のものです」と言われて「はいわかりました」と納得するわけがありません。
大政奉還から僅か2年後・・・実質は1年とちょっとで、武士が怒って反乱を起こします。
これが1868年の1月に起きた戊辰戦争です。
ちなみにこの戊辰戦争・・・戦いは一度だけではありません。 大きく分けて3つの内戦があり、それを戊辰戦争って言うんです。
では、それを順を追って説明します。
① 官軍(薩摩&長州) VS 旧政権(旧幕府軍)
俗にいう鳥羽・伏見の戦いです。いきなり権力を全て取り上げられた旧幕府のみなさんが怒り狂って、僅か一年後にブチ切れ、政府から政権を奪還すべく旧将軍の徳川慶喜をトップに戦いをしかけます。
しかし・・・徳川慶喜はすっごい優秀な人物・・・自分の置かれた地位ってのも理解してるんです。
そして「もともと将軍で天皇陛下より地位の低い私のような人間が天皇に逆らうなどとんでもないことだ」と、一切戦わずに海軍全部率いて、江戸に帰り、水戸で謹慎することに・・・
しかし、一度戦いを仕掛けられた天皇は憤慨。「慶喜を殺せ!」とまで言いますが、それでも勝海舟が活躍してくれて、それまでずっと明け渡さなかった江戸城を無血開城させ、江戸には一滴の血も流れませんでした・・・勝海舟すげー・・・
② 官軍 VS 奥羽越列藩同盟
次に起きたのは、政府軍ではなく、現代風に言うと、地方政権が連合して戦いを挑みました・・・その中心にいたのは・・・会津藩・・・
皆様覚えているでしょうか?そう・・・会津藩・・・新撰組を出して、幕府の狗として、討幕を阻止しつずけていた・・・頼まれて仕方なく汚れ役やってたあの藩です。
しかしながら、幕末にそんなことしてれば、当然新政府であり官軍である薩摩や長州からすれば「散々幕末に嫌がらせしやがって・・・」と恨まれるわけで・・・
政府が出来てからもうずっとチマチマチマチマ虐めるんですね。
なので、強い不良相手に、弱虫連合というか・・・いじめられっ子連合の怒りが爆発するんです。いろんな藩が「俺達が会津におしつけたんだし・・・」とか「今の政府の態度は確かにひどいよな・・・」と同情して戦争に突入したんです。
そして、①を超えるぐらいの大戦争になります。しかし、相手は近代イギリスの兵器を持つ薩摩と長州・・・勝てるわけがありません・・・次々と倒され・・・そして9月に会津が落城し、結局クーデターは失敗に終わりました。
ただ、おかげで明治政府も「うん・・・確かにやり過ぎてたよな・・・」と反省して、あんまり苛めなくなります。
③ 官軍 VS 函館政権
戊辰戦争最後の戦いです。皆様御存知? 新撰組鬼の副長こと土方歳三とか ①の幕府の生き残りが全員函館に集まり「わかった・・・もう日本を返せとかいわないし、戦いもしない。戦争しようなんて思ってない・・・けど、俺たちはこれからもう北海道を蝦夷共和国として独立して運営してくから、もう文句言わないでくれ!」と言い、独立を宣言します・・・
しかし、そんなことしたら国家が2つに分けられてしまいます・・・なので、官軍は彼らを討伐します。そして1869年5月・・・
土方歳三が戦死したことで、結局函館政権は敗北し、戊辰戦争は集結したのです。
そして、この後・・・日本は揺れ動くことになります。
それを3つの点・・・
1、新政府の動向
2、士族の動向
3、朝鮮を巡る動向
から見ていきます。
では・・・何で揺れ動いていたかというと・・・今後の日本の方針です。
今まで日本は東アジア特有の”中華システム”とでも言うべき中で生活してました。つまりは中国との宗属関係です。世界の中心は太陽である中国で、後の国は日本も含めて地球とかの惑星。太陽は惑星に無償で施しをする。
つまり、中国はなんでも持っていて近隣諸国はそれを貰って生活するってのが基本でした。
しかしながら、それと同時に入ってきたのが”西欧近代システム”とでも言うべき国民国家(主権国家)という考え方です。つまりは帝国主義。日本は中国とも対等な一つの国であるって考え方です。
この2つでどちらを取るかということで・・・日本すっごい悩むことになるのです。
ってわけで続きは次回・・・
それではありがとうございました。
by shauna-crown
| 2011-02-15 22:57
| 各種解説
|
Comments(6)
Commented
by
kazusakanna at 2011-02-17 01:04
しかしワタミの人は都条例に賛成と書いてあった。
……他のやついないのか。
……他のやついないのか。
0
Commented
by
shauna-crown at 2011-02-18 02:16
参考になりました(´-ω-`)
Commented
by
shauna-crown at 2013-09-16 22:49
>ちゅうがくせー様
お役に立ててなによりです
お役に立ててなによりです
Commented
by
高校生
at 2013-10-27 04:58
x
マジ最高!
Commented
by
shauna-crown at 2013-11-06 01:16
>高校生様
ありがとうございます。
ありがとうございます。