2010年 04月 25日
シャウナの日本史解説 ~今度こそ平安から鎌倉へ~ |
いらっしゃいませ。
すいません・・・ちょっと昨日はバイトだったので更新できませんでした。
・・・疲れてて・・・
さてさて・・・では遅れを取り戻すためにもちゃっちゃか歴史解説しましょうね・・・
今日こそ「いざ!鎌倉!」
では、どうぞ~・・・
さて・・・源氏を滅ぼしたことで、ついに平氏は武士として最上級の地位を手に入れます。
しかも、彼らは貴族武士であり、貴族とも仲が良かったので、すぐに昔の藤原氏並の力を手に入れちゃうんですね・・・
そこで生まれた格言が
「平家にあらずんば人にあらず」
って言葉ですね・・・うん・・・権力の強さと傲慢さが伝わってくるようだ・・・
平氏の筆頭格だった”平清盛”は、武士として初めて太政大臣(今でいう総理大臣より偉い・・・特別総理みたいなの)に任命されると、自分の娘の「徳子」を天皇の妻にして、当時、”院政”を敷いていた”後白河法皇”を幽閉し、娘の産んだ”安徳”って男の子を天皇にすることで、政治の実権を完全に掌握したんです。
ここでワンポイント。
当時、日本を支配していたのは天皇ではなく、上皇による院政でした。
で、その上皇が出家して仏教徒になると、称号が”法皇”になるんですね・・・
”法皇=出家した上皇”の方程式・・・覚えておいて損はありませんよ。
さてさて、話を戻しますが・・・
あの・・・みなさん・・・
上に書いた清盛がやったあれ・・・
つまり”自分の娘を天皇の妻にしてその子供を天皇にし、それで実権を握る”ってやりかた・・・
どこかで聞いたことありません?
例えば・・・いつだかの藤原さんが同じようなことをやってましたよね?
そう・・・すなわち、これは、まさに貴族の考え方。
つまり、平氏は貴族と武士を天秤にかけて、結局”貴族”になることを決めてしまったんですね・・・
でも・・・当然これが気に入らないのは、幽閉されてる後白河法皇です。
「なんだよ!! せっかく法皇になって政治の実権握ったのに、なんか閉じ込められるし、平氏のアホ共!!」
って感じですよね・・・。
でも、どうすることもできません。何しろ、政治の実権は清盛くんが持ってるわけですから、今、自分に残ってるものといえば、”法皇”の名前だけ・・・
ん?・・・法皇の名前・・・
法皇といえば一応は最高の権力者なわけです・・・
「そうか!!」
後白河君はいいことを思いつきました。そして、当時、既に成人していた源氏直流の血筋の兄弟にこんな命令を出したんです。
「平氏を討伐せよ。」と・・・
形だけとはいえ、これは「法皇からの命令」
これほど、正統かつ最高の命令は他にはないわけです。
つまり、頼朝を担ぐことで、平氏を滅ぼしてもらおうとしたわけですね・・・
すると、この命令が出た直後、頼朝に「お前担がれたの!!?」という問い合わせが殺到します。
そして、ひとたび、頼朝が「あ・・・はい・・・担がれました。」って言ったら・・・
「お前ら今までどこに居たんだよ!!?」ってぐらいの源氏の残党勢力やら武士やらが頼朝の元に集結します。
そして、やがて義経も合流し・・・
繰り広げられる 源氏VS平氏 の 第二ラウンド。
ちなみに、「鵯越の坂落」とか有名な戦いは全部こっちです。
で、結局、平氏はどんどん追い詰められ、最終的には今の下関に位置する「壇ノ浦」まで追い詰められます。
もちろんこの時・・・
源氏は情けなんてかけません。何故なら、平氏は情けをかけて頼朝義経兄弟を生かしてしまったから、ここまで追い詰められる結果になったんですから・・・
もう、皆殺しです。捕虜なんてとりません。
殲滅戦です。
そして、最終的に・・・
全滅を恐れた平氏の残党達は最終的に船から海へと飛込み、自害するんです。
”幼い安徳天皇と、天皇存続の証である三種の神器”と共に・・・
まあ、平氏に言わせればこれが最後の悪あがきというか・・・「ダダではヤラセはしない!!」ってことだったんですね・・・
そして、平氏の怨霊とかが多いのもこのせいなんです。
こうして、源平の合戦・・・第二ラウンドは源氏が圧勝。平家は殲滅されてしまいました。
源氏は平氏から多くを学び、それを実践したことで、最終的に勝利を手にいれたのですね・・・。
かくして、法皇の言うとおりに平氏を討伐することに成功した源氏は朝廷に呼び出され、法皇からすっごいホメられます。
しかし・・・法皇だって、頭はいいです。
「平氏の二の舞にさせてなるものか・・・今度こそ、武士は私が従えるんだ・・・」
そう考えた法皇は頼朝に位を与え、朝廷に縛り付けようと画作します。
法皇「いや~・・・よくやってくれたよ~・・・マジ助かったわ~・・・ところでさ・・・どう?お礼と言ってはなんだけど・・・太政大臣とかならない?」
これってものすごく魅力的なお誘いですよね・・・
でもね・・・頼朝はこれを断ります。
だって、平氏は太政大臣になって貴族になっちゃったから、失敗して滅んじゃったんですもん・・・
だから、頼朝はこう言ったんです。
「まぁ~・・・貰えるなら~・・・そうだな~・・・歴史的にも古くって、それでいて、武士らしい称号・・・例えば軍事の最高責任者の”征夷大将軍”とかなら欲しいっす・・・」
当時、征夷大将軍なんて古いだけの湿っぽい称号ですから、法皇からしたら
「え!!? それ!!?」
ですよ・・・でも、まあ、本人が望むならってことで・・・これを了承したんですね・・・
これが丁度1192年のこと・・・
つまり、こうして鎌倉幕府が誕生したんです。
っと・・・今日はここまで・・・
やった!!!鎌倉に入りました!!
明日はそんな鎌倉幕府のお話・・・
ではでは。
ありがとうございました。
すいません・・・ちょっと昨日はバイトだったので更新できませんでした。
・・・疲れてて・・・
さてさて・・・では遅れを取り戻すためにもちゃっちゃか歴史解説しましょうね・・・
今日こそ「いざ!鎌倉!」
では、どうぞ~・・・
さて・・・源氏を滅ぼしたことで、ついに平氏は武士として最上級の地位を手に入れます。
しかも、彼らは貴族武士であり、貴族とも仲が良かったので、すぐに昔の藤原氏並の力を手に入れちゃうんですね・・・
そこで生まれた格言が
「平家にあらずんば人にあらず」
って言葉ですね・・・うん・・・権力の強さと傲慢さが伝わってくるようだ・・・
平氏の筆頭格だった”平清盛”は、武士として初めて太政大臣(今でいう総理大臣より偉い・・・特別総理みたいなの)に任命されると、自分の娘の「徳子」を天皇の妻にして、当時、”院政”を敷いていた”後白河法皇”を幽閉し、娘の産んだ”安徳”って男の子を天皇にすることで、政治の実権を完全に掌握したんです。
ここでワンポイント。
当時、日本を支配していたのは天皇ではなく、上皇による院政でした。
で、その上皇が出家して仏教徒になると、称号が”法皇”になるんですね・・・
”法皇=出家した上皇”の方程式・・・覚えておいて損はありませんよ。
さてさて、話を戻しますが・・・
あの・・・みなさん・・・
上に書いた清盛がやったあれ・・・
つまり”自分の娘を天皇の妻にしてその子供を天皇にし、それで実権を握る”ってやりかた・・・
どこかで聞いたことありません?
例えば・・・いつだかの藤原さんが同じようなことをやってましたよね?
そう・・・すなわち、これは、まさに貴族の考え方。
つまり、平氏は貴族と武士を天秤にかけて、結局”貴族”になることを決めてしまったんですね・・・
でも・・・当然これが気に入らないのは、幽閉されてる後白河法皇です。
「なんだよ!! せっかく法皇になって政治の実権握ったのに、なんか閉じ込められるし、平氏のアホ共!!」
って感じですよね・・・。
でも、どうすることもできません。何しろ、政治の実権は清盛くんが持ってるわけですから、今、自分に残ってるものといえば、”法皇”の名前だけ・・・
ん?・・・法皇の名前・・・
法皇といえば一応は最高の権力者なわけです・・・
「そうか!!」
後白河君はいいことを思いつきました。そして、当時、既に成人していた源氏直流の血筋の兄弟にこんな命令を出したんです。
「平氏を討伐せよ。」と・・・
形だけとはいえ、これは「法皇からの命令」
これほど、正統かつ最高の命令は他にはないわけです。
つまり、頼朝を担ぐことで、平氏を滅ぼしてもらおうとしたわけですね・・・
すると、この命令が出た直後、頼朝に「お前担がれたの!!?」という問い合わせが殺到します。
そして、ひとたび、頼朝が「あ・・・はい・・・担がれました。」って言ったら・・・
「お前ら今までどこに居たんだよ!!?」ってぐらいの源氏の残党勢力やら武士やらが頼朝の元に集結します。
そして、やがて義経も合流し・・・
繰り広げられる 源氏VS平氏 の 第二ラウンド。
ちなみに、「鵯越の坂落」とか有名な戦いは全部こっちです。
で、結局、平氏はどんどん追い詰められ、最終的には今の下関に位置する「壇ノ浦」まで追い詰められます。
もちろんこの時・・・
源氏は情けなんてかけません。何故なら、平氏は情けをかけて頼朝義経兄弟を生かしてしまったから、ここまで追い詰められる結果になったんですから・・・
もう、皆殺しです。捕虜なんてとりません。
殲滅戦です。
そして、最終的に・・・
全滅を恐れた平氏の残党達は最終的に船から海へと飛込み、自害するんです。
”幼い安徳天皇と、天皇存続の証である三種の神器”と共に・・・
まあ、平氏に言わせればこれが最後の悪あがきというか・・・「ダダではヤラセはしない!!」ってことだったんですね・・・
そして、平氏の怨霊とかが多いのもこのせいなんです。
こうして、源平の合戦・・・第二ラウンドは源氏が圧勝。平家は殲滅されてしまいました。
源氏は平氏から多くを学び、それを実践したことで、最終的に勝利を手にいれたのですね・・・。
かくして、法皇の言うとおりに平氏を討伐することに成功した源氏は朝廷に呼び出され、法皇からすっごいホメられます。
しかし・・・法皇だって、頭はいいです。
「平氏の二の舞にさせてなるものか・・・今度こそ、武士は私が従えるんだ・・・」
そう考えた法皇は頼朝に位を与え、朝廷に縛り付けようと画作します。
法皇「いや~・・・よくやってくれたよ~・・・マジ助かったわ~・・・ところでさ・・・どう?お礼と言ってはなんだけど・・・太政大臣とかならない?」
これってものすごく魅力的なお誘いですよね・・・
でもね・・・頼朝はこれを断ります。
だって、平氏は太政大臣になって貴族になっちゃったから、失敗して滅んじゃったんですもん・・・
だから、頼朝はこう言ったんです。
「まぁ~・・・貰えるなら~・・・そうだな~・・・歴史的にも古くって、それでいて、武士らしい称号・・・例えば軍事の最高責任者の”征夷大将軍”とかなら欲しいっす・・・」
当時、征夷大将軍なんて古いだけの湿っぽい称号ですから、法皇からしたら
「え!!? それ!!?」
ですよ・・・でも、まあ、本人が望むならってことで・・・これを了承したんですね・・・
これが丁度1192年のこと・・・
つまり、こうして鎌倉幕府が誕生したんです。
っと・・・今日はここまで・・・
やった!!!鎌倉に入りました!!
明日はそんな鎌倉幕府のお話・・・
ではでは。
ありがとうございました。
by shauna-crown
| 2010-04-25 15:15
| 各種解説
|
Comments(2)
Commented
by
makaion at 2010-04-26 19:13
あれ……もう既に理解できかねている私がいる……?(危険度MAX
部屋の隅に埋もれていた歴史の教科書を引っ張り出すしかないようです。とても勉強になります……(意欲的な意味でも
では。
部屋の隅に埋もれていた歴史の教科書を引っ張り出すしかないようです。とても勉強になります……(意欲的な意味でも
では。
0
Commented
by
shauna-crown at 2010-04-27 01:10