2011年 01月 08日
シャウナのわかりやすい日本史解説 ~江戸幕府3~ |
いらっしゃいまほ。
昨日小寒を迎えまして・・・これからが最も寒くなる季節ですが・・・皆様、お体など壊されていないでしょうか?
さてさて・・・
では、昨日の続きです。
受験生諸君! シャウナは皆様の応援をしています!!
寒いけど、頑張れ!
努力は必ずしも報われません・・・ですが!!成功した人は絶対なんらかの努力をした人です!!
レッツ・スタディ!
ってなわけで、江戸幕府。
困り果てて、ある2種類の努力を始めます。
そしてここからが面白い。
この努力・・・2つというのは 初心に返って農業中心の政治を頑張ろうじゃないか ってのと いやいや・・・これからは商人から売上の上前を撥ねるべきだ ってタイプの2種類に真っ二つにわかれるんです・・・
そしてさらに、これが交互に繰り返されるんです。
ってなわけで、ここからはその交互に繰り返される様を 初心に返る方を緑色で・・・ 商人からぶんどる方を青字で表現したいと思います。
まずは農業。八代将軍吉宗。大河ドラマの暴れん坊将軍のモデルでございます。
1716~1745にかけて 享保の改革 を行います。
まず言うのはとにかく「倹約しろ!!」って言うんです。花火とかああいう無駄なものは全部やめろ!って言って、将軍も絹の綺麗な着物ではなく、シンプルな木綿の着物とかを着ちゃってます。
さらに、昔、家光の時代に始まった参勤交代。あれが莫大な費用がかかるので、こう言います。「やめることはできないけど・・・まぁ、来なきゃいけない感覚を長くしてやるから、そのかわり、税金として米を寄越せ」
さらに、いままでは絶対に海外からの輸入というのは禁止していたのですが、今後は「技術の本のみは輸入をして外国の技術を盗もう!」と決意します。このころ、イギリスで産業革命が始まろうとしているわけですから、まさに最高に丁度いい時期なんでうしょね・・・
次は商人から分捕る方です。江戸幕府の老中 田沼意次 が1767年~86年の間に商人から利益を撥ねる方向で必死に頑張ります。
まずは幕府が巨大な商社になります。そして、中国との貿易によるビジネスを行い、さらには現在の函館当たりに領地のあった松前藩に依頼して、アイヌとの海産物の干物を貿易します。
もう幕府が商人になってしまったわけですね。これによって、当時の江戸幕府は空前の好景気に湧いたそうです。
ですが・・・
当然そうなると、起きるのは・・・政治家による汚職ですよね・・・
もう田沼意次ってのはその名の通り、田や沼みたいにドロドロな政治家で・・・汚職政治家といえば田沼 って方程式まであったぐらいなんです。
そして、そんな汚職をしていれば・・・当然景気は落ちます・・・ついでにそこに天明の大飢饉もあわせて起き・・・結局、田沼意次は失脚することに・・・
次に出てきたのは松平定信でした。
白河藩出身の彼はその文字の通り、白河のように潔癖で汚職なんて許さない・・・
田沼とは違ってとんでもなく綺麗な水にしてしまいます。 ”田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水”なんて文言ができる程に・・・
ですが・・・この松平がキツかった・・・
彼の白河ってのはつまりこういうことだったんです。「水清ければ魚住まず?・・・何を言っておる・・・清い水に住めない魚など、絶滅してしまえばよい!」・・・
潔癖すぎるってのも考えものですよね・・・
そんな彼が行ったのが寛政の改革(1787~93)でございました。
。当時、御家人(武士)というのは、とにかくお金がなく、身分階級の最下層である商人から借金をしないと生きて行けず・・・侍はサラ金で生活していたんですね・・・
その為、ある意味、武士は商人によって支配されてしまっていたのです。
ですが・・・この松平定信は寛政の改革でなにをしたかというと・・・
その武士が抱えていた莫大な借金を全部帳消しにしてしまいます!! まさに武士にとってはヤッター!!!
なんですが・・・そんなことをしたら、困るのは商人です。
だって、今まで莫大に貸していたお金がある日突然「よし!帳消しだ!文句ないな!」って法律が出来ちゃうんですよ?
もはや通常なら暴動レベルですが、江戸幕府は現在の北朝鮮並の軍事国家・・・国家に逆らったらお侍様に斬り捨て御免で殺されちゃいます。だから、もう泣き寝入りするしかないんです・・・
ですが・・・
よくよく思い出してみてください・・・この時代・・・経済の中心はもはや農業ではなく商業・・・つまり商人です。
いきなり莫大な借金を帳消しにされたら・・・商人が疲弊します。よって・・・都市が疲弊してしまうんです。
結局、松平定信の行った寛政の改革は商人の疲弊による都市の疲弊という幕府がより貧乏になる形で集結したのでした。
”白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき”なんて文言すら言われるようになって・・・
次に台頭するのは、将軍様です。
名を徳川家斉と申します・・・
この人は・・・正直、商人寄りでも農業寄りでもないのですが・・・まあ、どちらかといえば、若干商人よりかなぁ・・・みたいな・・・
で・・・この人はどんな人かと言いますと・・・
うーん・・・わかりやすいかわかりにくいかわかりませんが・・・一言で言うなら、伝説の勇者の伝説で言う・・・シオン・アスタール量産装置・・・みたいな・・・
というのも、この人ってとにかく在位が長いんです。
10歳という若さにして将軍となった彼は、その後50年間将軍を務めます。
そしてその間・・・もう好き勝手に贅沢しまくるんです・・・特定されているだけで16人・・・一節には40人もの妻を持ち、生まれた子供は男子26人・女子27人・・・
当然、将軍が遊んでできた子供なので、シオンのように子供とは認められず、しかもその大勢の子どものせいで養育費は莫大にかさみ・・・幕府の財政はついにそこを尽きる勢いに・・・
これがポイントオブノーリターンですね・・・江戸幕府の・・・彼が遊ばなければ、きっと江戸幕府はもう少し長生きできたはず・・・
で、お金が無くなり・・・さらに天保の大飢饉が訪れると・・・彼はまた暴君じみたことを言うんです。
「米が無い?なら、もってこいよ・・・大阪の蔵屋敷にたくさんあるだろ?あれを持って来い・・・」と・・・
はい・・・説明しましょう・・・これがどれだけの問題発言なのかを・・・
まず知っておいて欲しいのは、江戸幕府ってのは、とにかく反乱を起こさせないために、藩同士の交流というのを極限まで制約していたのです。
例えば、A藩という藩で飢饉が起こり、食べるものが一切無い・・・だから今年豊作だった隣国のB藩が助けてあげようと、お米を分けてあげた・・・
これすら犯罪行為なんです。なぜなら、そんなことをしたらA藩とB藩の結託が強くなって、江戸幕府を倒幕するおそれがあったから・・・だから、徹底的にどんな状況でも助け合いは禁止だったんです。
にも関わらず!!
江戸幕府が困った・・・なら、大阪から米を貰えばイイ!?
そんな馬鹿でアホな横暴が許されるはずがありません。
もちろん、これに激怒した人物がいました・・・その名を大塩平八郎と言います。大阪の蔵屋敷からの米の取立てに激怒した彼は、仲間と共に大塩平八郎の乱を起こします。
じゃあ、次はどうするか・・・
「そうか・・・小判を集めて溶かして、純度を下げて、小判を増やせばいいんだ!!」
・・・・・・・このブログを読んでくれている人ならわかるはずです・・・お札とかバンバン印刷しちゃいけない理由を・・・
当然そんなことをしたので、一気に物価が高騰。リンゴ一個10000円の時代に”インフレ”突入です。
結局そんなわけで・・・
彼の行いにより、江戸幕府はもはや転落への道だけしか残らず・・・文字通り、元に戻るのは不可能という・・・倒幕への道を踏み出したのでした。
最後に出てきたのは、水野忠邦って名前の老中でした。
彼が行ったのは 天保の改革(1841~43)・・・
まず、行ったのは人返し・・・当時農民はもう生活できなくって農地を捨てて都市部に出てきていました・・・なのでその農民たちを強制的に農地に返し、農業をさせ、安定した収入を得ようと試みます。
次に、株仲間の解散。家斉様のせいでとんでもないインフレになってしまいましたので、それをなんとかしようと、商人の組合を解散させてしまいます・・・しかし・・・そんなことをすればそれまでにあった流通を全て壊してしまうことになるので・・・
結局より、不景気は加速します。
でも、水野さん諦めません!すぐに上知令です。つまり、日本全国の藩の領地・・・今まで散々独立国扱いしていたのに、そのすべてを幕府の直轄にしようとしたのです・・・でも・・・
もちろん、すべての大名が大反対。ついには当時の将軍、家慶からも「それは無理だろ・・・」って言われ・・・諦めます・・・
なら!と水野さん・・・今度は相対済令を発行します。これはどんなものかというと、商人たち・・・つまり、サラ金に対して、「金利を下げろ!それと旗本と御家人の借金は全部無利子だ!!ついでにローンは20年ローンだ!!」って言ったんです。
一見すると、武士にも市民にもやさしいこの法案・・・ですが・・・商人に取ってはきつい・・・だってお金貸しても商売にならないし、逆に踏み倒される危険性だって大なんですもん。よって・・・
商人がお金を貸してくれなくなり・・・結果、失敗・・・
しかも、この当時・・・水野さん・・・ある情報を聞きつけます。
それは改革を初めて1年後の1842年のこと・・・
それを聞いて水野さん・・・一気に青ざめます・・・
「どういうことだ!?本当なのか!?間違いないのか!?」
「はい・・・事実にございます。」
「そんなバカな・・・ありえない・・・そんなこと・・・ありえない・・・」
「でございますが・・・」
「相手はあの清だぞ!?世界最強の大国!!清だぞ!?それが・・・西の国・・・イギリスに負けて・・・不平等条約を結ばされただと!?」そう・・・1842年・・・隣国であり、自分よりもずっとずっと強大だったはずの太陽の国・・・”清”が・・・アヘン戦争でイギリスに敗北したのです。
そして・・・その時、水野さんは気が付きました・・・
(無理だ・・・)と・・・
イギリスと戦争して、我が日本が勝てるわけがない・・・清のように負けて不平等な条約を結ばされるだけだ・・・と・・・
それまではずっと、「オランダと中国と朝鮮以外の船は全部大砲で撃沈させろ!」と言っていたのですが・・・そこからはころっと態度を変えます。
「イギリスの船が近づいてきたら、薪と水と食料を与えて・・・できるだけ穏便におかえりいただけ・・・」
ってことで・・・薪水給与令を発行します・・・
そして、当然、国民はアヘン戦争なんて知る由もないわけですから・・・水野の政策に対してこう批判します。「内には鬼のように厳しく、外には天使のように優しい政策だ!!」と・・・
ただ、言わせてもらえば・・・もう江戸幕府を立て直すならこれぐらいのことをするしかなかったんです。幕府を盛り返す為に無理をして、イギリスなど外国の植民地にされないように無理をして・・・
そして、結果は大失敗・・・
江戸幕府の寿命を縮めてしまい・・・
結局失脚し、後進の阿部正弘という人物に職を譲ることに・・・
ですが・・・この阿部正弘って人も不幸な人でございまして・・・
さぁ、僕の時代!安政の改革をやるぞ! ってやり始めたところで・・・ ついにあの人がきてしまうのです・・・
次回!シャウナのわかりやすい日本史解説第16回”開国シッテクダサイヨー”お楽しみに。
では、本日はこのへんで。
ありがとうございました。
昨日小寒を迎えまして・・・これからが最も寒くなる季節ですが・・・皆様、お体など壊されていないでしょうか?
さてさて・・・
では、昨日の続きです。
受験生諸君! シャウナは皆様の応援をしています!!
寒いけど、頑張れ!
努力は必ずしも報われません・・・ですが!!成功した人は絶対なんらかの努力をした人です!!
レッツ・スタディ!
ってなわけで、江戸幕府。
困り果てて、ある2種類の努力を始めます。
そしてここからが面白い。
この努力・・・2つというのは 初心に返って農業中心の政治を頑張ろうじゃないか ってのと いやいや・・・これからは商人から売上の上前を撥ねるべきだ ってタイプの2種類に真っ二つにわかれるんです・・・
そしてさらに、これが交互に繰り返されるんです。
ってなわけで、ここからはその交互に繰り返される様を 初心に返る方を緑色で・・・ 商人からぶんどる方を青字で表現したいと思います。
まずは農業。八代将軍吉宗。大河ドラマの暴れん坊将軍のモデルでございます。
1716~1745にかけて 享保の改革 を行います。
まず言うのはとにかく「倹約しろ!!」って言うんです。花火とかああいう無駄なものは全部やめろ!って言って、将軍も絹の綺麗な着物ではなく、シンプルな木綿の着物とかを着ちゃってます。
さらに、昔、家光の時代に始まった参勤交代。あれが莫大な費用がかかるので、こう言います。「やめることはできないけど・・・まぁ、来なきゃいけない感覚を長くしてやるから、そのかわり、税金として米を寄越せ」
さらに、いままでは絶対に海外からの輸入というのは禁止していたのですが、今後は「技術の本のみは輸入をして外国の技術を盗もう!」と決意します。このころ、イギリスで産業革命が始まろうとしているわけですから、まさに最高に丁度いい時期なんでうしょね・・・
次は商人から分捕る方です。江戸幕府の老中 田沼意次 が1767年~86年の間に商人から利益を撥ねる方向で必死に頑張ります。
まずは幕府が巨大な商社になります。そして、中国との貿易によるビジネスを行い、さらには現在の函館当たりに領地のあった松前藩に依頼して、アイヌとの海産物の干物を貿易します。
もう幕府が商人になってしまったわけですね。これによって、当時の江戸幕府は空前の好景気に湧いたそうです。
ですが・・・
当然そうなると、起きるのは・・・政治家による汚職ですよね・・・
もう田沼意次ってのはその名の通り、田や沼みたいにドロドロな政治家で・・・汚職政治家といえば田沼 って方程式まであったぐらいなんです。
そして、そんな汚職をしていれば・・・当然景気は落ちます・・・ついでにそこに天明の大飢饉もあわせて起き・・・結局、田沼意次は失脚することに・・・
次に出てきたのは松平定信でした。
白河藩出身の彼はその文字の通り、白河のように潔癖で汚職なんて許さない・・・
田沼とは違ってとんでもなく綺麗な水にしてしまいます。 ”田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水”なんて文言ができる程に・・・
ですが・・・この松平がキツかった・・・
彼の白河ってのはつまりこういうことだったんです。「水清ければ魚住まず?・・・何を言っておる・・・清い水に住めない魚など、絶滅してしまえばよい!」・・・
潔癖すぎるってのも考えものですよね・・・
そんな彼が行ったのが寛政の改革(1787~93)でございました。
。当時、御家人(武士)というのは、とにかくお金がなく、身分階級の最下層である商人から借金をしないと生きて行けず・・・侍はサラ金で生活していたんですね・・・
その為、ある意味、武士は商人によって支配されてしまっていたのです。
ですが・・・この松平定信は寛政の改革でなにをしたかというと・・・
その武士が抱えていた莫大な借金を全部帳消しにしてしまいます!! まさに武士にとってはヤッター!!!
なんですが・・・そんなことをしたら、困るのは商人です。
だって、今まで莫大に貸していたお金がある日突然「よし!帳消しだ!文句ないな!」って法律が出来ちゃうんですよ?
もはや通常なら暴動レベルですが、江戸幕府は現在の北朝鮮並の軍事国家・・・国家に逆らったらお侍様に斬り捨て御免で殺されちゃいます。だから、もう泣き寝入りするしかないんです・・・
ですが・・・
よくよく思い出してみてください・・・この時代・・・経済の中心はもはや農業ではなく商業・・・つまり商人です。
いきなり莫大な借金を帳消しにされたら・・・商人が疲弊します。よって・・・都市が疲弊してしまうんです。
結局、松平定信の行った寛政の改革は商人の疲弊による都市の疲弊という幕府がより貧乏になる形で集結したのでした。
”白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき”なんて文言すら言われるようになって・・・
次に台頭するのは、将軍様です。
名を徳川家斉と申します・・・
この人は・・・正直、商人寄りでも農業寄りでもないのですが・・・まあ、どちらかといえば、若干商人よりかなぁ・・・みたいな・・・
で・・・この人はどんな人かと言いますと・・・
うーん・・・わかりやすいかわかりにくいかわかりませんが・・・一言で言うなら、伝説の勇者の伝説で言う・・・シオン・アスタール量産装置・・・みたいな・・・
というのも、この人ってとにかく在位が長いんです。
10歳という若さにして将軍となった彼は、その後50年間将軍を務めます。
そしてその間・・・もう好き勝手に贅沢しまくるんです・・・特定されているだけで16人・・・一節には40人もの妻を持ち、生まれた子供は男子26人・女子27人・・・
当然、将軍が遊んでできた子供なので、シオンのように子供とは認められず、しかもその大勢の子どものせいで養育費は莫大にかさみ・・・幕府の財政はついにそこを尽きる勢いに・・・
これがポイントオブノーリターンですね・・・江戸幕府の・・・彼が遊ばなければ、きっと江戸幕府はもう少し長生きできたはず・・・
で、お金が無くなり・・・さらに天保の大飢饉が訪れると・・・彼はまた暴君じみたことを言うんです。
「米が無い?なら、もってこいよ・・・大阪の蔵屋敷にたくさんあるだろ?あれを持って来い・・・」と・・・
はい・・・説明しましょう・・・これがどれだけの問題発言なのかを・・・
まず知っておいて欲しいのは、江戸幕府ってのは、とにかく反乱を起こさせないために、藩同士の交流というのを極限まで制約していたのです。
例えば、A藩という藩で飢饉が起こり、食べるものが一切無い・・・だから今年豊作だった隣国のB藩が助けてあげようと、お米を分けてあげた・・・
これすら犯罪行為なんです。なぜなら、そんなことをしたらA藩とB藩の結託が強くなって、江戸幕府を倒幕するおそれがあったから・・・だから、徹底的にどんな状況でも助け合いは禁止だったんです。
にも関わらず!!
江戸幕府が困った・・・なら、大阪から米を貰えばイイ!?
そんな馬鹿でアホな横暴が許されるはずがありません。
もちろん、これに激怒した人物がいました・・・その名を大塩平八郎と言います。大阪の蔵屋敷からの米の取立てに激怒した彼は、仲間と共に大塩平八郎の乱を起こします。
じゃあ、次はどうするか・・・
「そうか・・・小判を集めて溶かして、純度を下げて、小判を増やせばいいんだ!!」
・・・・・・・このブログを読んでくれている人ならわかるはずです・・・お札とかバンバン印刷しちゃいけない理由を・・・
当然そんなことをしたので、一気に物価が高騰。リンゴ一個10000円の時代に”インフレ”突入です。
結局そんなわけで・・・
彼の行いにより、江戸幕府はもはや転落への道だけしか残らず・・・文字通り、元に戻るのは不可能という・・・倒幕への道を踏み出したのでした。
最後に出てきたのは、水野忠邦って名前の老中でした。
彼が行ったのは 天保の改革(1841~43)・・・
まず、行ったのは人返し・・・当時農民はもう生活できなくって農地を捨てて都市部に出てきていました・・・なのでその農民たちを強制的に農地に返し、農業をさせ、安定した収入を得ようと試みます。
次に、株仲間の解散。家斉様のせいでとんでもないインフレになってしまいましたので、それをなんとかしようと、商人の組合を解散させてしまいます・・・しかし・・・そんなことをすればそれまでにあった流通を全て壊してしまうことになるので・・・
結局より、不景気は加速します。
でも、水野さん諦めません!すぐに上知令です。つまり、日本全国の藩の領地・・・今まで散々独立国扱いしていたのに、そのすべてを幕府の直轄にしようとしたのです・・・でも・・・
もちろん、すべての大名が大反対。ついには当時の将軍、家慶からも「それは無理だろ・・・」って言われ・・・諦めます・・・
なら!と水野さん・・・今度は相対済令を発行します。これはどんなものかというと、商人たち・・・つまり、サラ金に対して、「金利を下げろ!それと旗本と御家人の借金は全部無利子だ!!ついでにローンは20年ローンだ!!」って言ったんです。
一見すると、武士にも市民にもやさしいこの法案・・・ですが・・・商人に取ってはきつい・・・だってお金貸しても商売にならないし、逆に踏み倒される危険性だって大なんですもん。よって・・・
商人がお金を貸してくれなくなり・・・結果、失敗・・・
しかも、この当時・・・水野さん・・・ある情報を聞きつけます。
それは改革を初めて1年後の1842年のこと・・・
それを聞いて水野さん・・・一気に青ざめます・・・
「どういうことだ!?本当なのか!?間違いないのか!?」
「はい・・・事実にございます。」
「そんなバカな・・・ありえない・・・そんなこと・・・ありえない・・・」
「でございますが・・・」
「相手はあの清だぞ!?世界最強の大国!!清だぞ!?それが・・・西の国・・・イギリスに負けて・・・不平等条約を結ばされただと!?」そう・・・1842年・・・隣国であり、自分よりもずっとずっと強大だったはずの太陽の国・・・”清”が・・・アヘン戦争でイギリスに敗北したのです。
そして・・・その時、水野さんは気が付きました・・・
(無理だ・・・)と・・・
イギリスと戦争して、我が日本が勝てるわけがない・・・清のように負けて不平等な条約を結ばされるだけだ・・・と・・・
それまではずっと、「オランダと中国と朝鮮以外の船は全部大砲で撃沈させろ!」と言っていたのですが・・・そこからはころっと態度を変えます。
「イギリスの船が近づいてきたら、薪と水と食料を与えて・・・できるだけ穏便におかえりいただけ・・・」
ってことで・・・薪水給与令を発行します・・・
そして、当然、国民はアヘン戦争なんて知る由もないわけですから・・・水野の政策に対してこう批判します。「内には鬼のように厳しく、外には天使のように優しい政策だ!!」と・・・
ただ、言わせてもらえば・・・もう江戸幕府を立て直すならこれぐらいのことをするしかなかったんです。幕府を盛り返す為に無理をして、イギリスなど外国の植民地にされないように無理をして・・・
そして、結果は大失敗・・・
江戸幕府の寿命を縮めてしまい・・・
結局失脚し、後進の阿部正弘という人物に職を譲ることに・・・
ですが・・・この阿部正弘って人も不幸な人でございまして・・・
さぁ、僕の時代!安政の改革をやるぞ! ってやり始めたところで・・・ ついにあの人がきてしまうのです・・・
次回!シャウナのわかりやすい日本史解説第16回”開国シッテクダサイヨー”お楽しみに。
では、本日はこのへんで。
ありがとうございました。
by shauna-crown
| 2011-01-08 01:17
| 各種解説
|
Comments(2)
Commented
by
makaion at 2011-01-08 17:08
登場人物名とか起きたことの名前はわかるのに、ここらへんさっぱりダメなんですよね……10回くらい読み返しておきます……(←じゃないと理解すらできない
そして次回wwwタイトルで把握できてしまうwww
次回も楽しみにしてます~ では~
そして次回wwwタイトルで把握できてしまうwww
次回も楽しみにしてます~ では~
0
Commented
by
shauna-crown at 2011-01-10 01:58